メキシコ湾海底油田爆発事故の意味するもの

 4月20日、メキシコ湾でエネルギー多国籍企業BP社の石油掘削基地が爆発して史上最悪の生態系汚染が発生した。発生から1ヶ月以上経過したのにいまだに流出を止める有効な施策を見いだせず、汚染は拡大するばかりである。1989年3月24日にアラスカ沖でエクソン社所有のタンカー、バルディーズ号が座礁し大量の原油が流出して生態系を汚染、破壊する事件が発生し、歴史上最悪の環境汚染・破壊と非難されがが、今回はあの事件をはるかに上回る。しかし私は次の点に今回の事件の見過ごせない問題点があると思う。
 第1に、技術の安全性やリスク管理のいい加減さが明確になったことだ。海底油田の採掘は環境汚染のリスク高いことは誰もが知っていることだが、爆発してもそれに対処して被害を最小限に食い止める技術もノウハウも持っていないのだ。これには驚かされる。
 散布される薬剤も環境への悪影響が心配されてすぐに中止されるものばかり、化学産業の製品テストを大ぴらにやっているようなものだ。アメリカのテレビニュースを見ていて戦慄させられたのは、生態系への汚染の水準を確定する研究すらないということだ。食用の魚の汚染を確認するには匂いをかぐしかない、匂いがなければ汚染されていないのかわからないという。科学者たちが切り身の匂いをかぐ姿はいようとしかいいようがない。汚染された魚を摂取した場合の人体に対する影響も研究がないらしい
 原子力発電、核兵器等の暴走を食い止める技術やシステムは準備されているのだろうか。それなしに喧伝される安全性の神話は信頼できない。今回の海底掘削をめぐる騒動はそんなものは存在しないことを白日の下にさらけ出したのである。
 第2に、石油埋蔵量は限界とする主張に対して異を唱える主張が声高に主張されている。海底にはなお無尽蔵にある、環境汚染を引き起こすことなく掘削が可能だと何の根拠もなく主張する。あえて問いたい。このこの悲惨な状況はどう説明するのか。
 第3に、エネルギー政策を策定し採掘の許認可権を持つ政府の責任である。アメリカでは今石油業界と権限を持つ行政との癒着が問題とされ、オバマ政権の対応の遅れが批判されている。オバマは挽回のため必死である。当該部局のトップを解任し、海底掘削の認可を停止したのは当然であろう。それでもこの掘削を承認した責任、対応が遅れた責任は残る。
 第4に、 企業の環境責任と情報開示にかかわる問題である。バルディーズ号事件を契機に企業に環境責任と情報開示を求めるいわゆる「バルディーズ原則」が作られた。BP社はこの原則に署名しているのだろうか。署名しているとすればこの「原則」に違反している道義的責任が問われなければならない。しかし今度の事件の特徴から見て「バルディーズ原則」の役割は終わったのではないないか。企業経営者の間での新たな原則の提案が必要ではないか。

 この事件を通じて化石燃料依存経済がいかにあやうい技術によって実現されているのか、それが地球の生態系と生きとし生けるものすべてを犠牲にして成り立っているかを知るべきであろう。求められていることは徹底した省エネルギー生産様式と生活様式を作り上げることである。その実現過程のイニシアティブを企業に委ねてはならない。主権者は地球市民であり、判断と承認の権利は市民の側に維持されなければならない。巨大企業の体質は今度の事件が明確に示しているのだから。

 それにしても日本ではどうしてこうもこの事件に関心が低いのだろうか。
(2010.5.30)

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