「全共闘」の時代は何をもたらしたのか

                   
 社会運動への若い世代の参加が少ないことを嘆く声が方々で聞かれる。対策をどうするかという話になると、この話題はいつも尻切れトンボに終わる。私はいつも後に続く世代、とりわけ全共闘世代に対する根深い不信を主張する。
 全員がそうだったというのではない。優れた仕事をしている人は多い。ヘルメットをかぶりタオルで顔を隠すと大学解体を叫び、ヘルメットを脱ぐと平然と期末試験を受けて卒業していく彼らの無節操にはあきれはてた。年を重ねても大学破壊に狂奔したことなどとっくに忘れ、あれは一過性の「はやりやまい」だったといわんばかりの行動様式を示す。彼らの感性さは次の世代たちに増幅して継承されているのではないか。デモすらできない無気力な若者を作り出したの原点はあそこにあると私は考えている。
 戦争と戦後改革を体験し、社会主義の理念の崩壊を前にたじろいだ私の世代と、戦争を体験せずに生まれ社会主義の崩壊にもさしたる動揺もなく生きてきた世代とでは違いがあっても不思議はない。高度成長のなかで「中流」生活を享受した彼らに理念や理想が欠落しているとなじるだけでは意味がないし、私たちは死ぬまでかってにやるだけと捨て鉢な気分になるのも大人げない。あの時代を検証することは私の世代、全共闘世代の双方にとって最重要の課題だと思う。最近の政治、社会、文化の各分野にみられる閉塞状況を打ち破り新たな展望を切り開くためにも、あの時代の歴史的意義について世代間の対話と論争を組織してみてはどうだろうか。                   (2010.7.23)

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