「橋下現象」の意味するもの

    テレビタレントとして名を売った若い弁護士、橋下徹があれよあれよという間に大阪の政治で躍進した。これには関西特有の背景がある。地盤地下に歯止めがかからず、行財政改革の展望は見えず、地方政治と行政の腐敗と利権集団化は目を覆わんばかり、学力低下にも危機意識が広がっている。このような状況に市民は苛立ち、橋下の「突破力」に期待する声は高まるばかりである。その期待を巧みに取り込んで、教育への干渉、組合的権利の制限をもくろんでいる。
 この人気を取り込もうと、旧高級官僚や評論家が機会を求めてうごめきはじめ、既成政党の大物たちの橋下詣でが始まっている。はたして橋下たちは国政選挙でも躍進するだろうか。最近の世論調査を見ると支持政党なしが半数を超えることが常態化している。わずかの支持で政権を奪い、民意を得たと称して憲法改正に突っ走る可能性は強まっている。「橋下現象」は関西特有の現象から今や全国的な政治潮流になりつつあるのではないか。さまざまな橋下徹が登場するのではないだろうか。民主主義にくたびれ果てて既存の政治勢力に対する期待も薄れ、凡庸な人物でも新鮮に見えるのであろう。ヒットラーが政権を掌握した時の状況もこのようなものだったに違いない。
 先日、橋下はブログ上で経済学者浜矩子氏を「紫頭のおばちゃん」と揶揄した。相手の身体的特徴をへつらうこと自体が人権侵害なのだが、それ以上に私を驚かせたのは、ウェブ上で展開されていた浜氏に対する匿名のによるデマと罵詈雑言であった。ここまで来ているのかと恐怖を感じた。
 このような傾向が抵抗もなく放置されるなら、この国の将来は暗澹たるものだ。 (2012.3.14)
【付記】この文章は『葦牙ジャーナル』第99号(2012年4月15日発行)の巻頭言として執筆したものである。

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