経済成長がもたらす「富」とは何かー安倍内閣の経済対策哲学に思うー

   1月11日付『日本経済新聞』夕刊のトップ記事に踊る見出しに仰天した。「成長で富創出」とある。閣議で決定されたという「緊急経済対策」の中身についてもいろいろ言いたい事はあるが、その批判は世のエコノミストや政治家たちに任せよう。私が仰天したのは「富」という表現である。こんな表現を今の時代に何のこだわりもなく使う無神経さである。聞記者の要約がつくり出した表現ではないかと疑い、官邸のウェブサイトで確認してみた。確かにそのように主張している。「成長による富の創出」、これは新内閣経済政策の基本哲学だという。
 「富」とは何か。この言葉は本来金持ち、財産の意味で、連想する言葉も「富裕層」「富者」「富豪」等々、思いつくのはお金持ちに関わった表現ばかりだ。経済政策の基本哲学と言うにはあまりに軽率な表現を選択しているのではないか。
 さらにいえば、いったいどのような「富」をどの階層の人々のためにつくり出すというのか。たとえ成長を実現したとしても、その成果が公正に配分され、生活の安定と豊かさが実現される保証はあるのか。
 1960年に池田勇人内閣が「国民所得倍増計画」を発表した時のことを思い出し、比較したくなる。あの時ほとんどの国民は見事にだまされた。国民総生産を倍にするという計画だったのに、それを「所得倍増計画」と言い換えて、選挙民の心を捉えたのである。国民の多くは自分の懐に入る手取り所得が倍になる計画と勘違いしたのである。
 その後の「高度成長」によって確かに懐の財布は膨らんだ。国民のかなりの部分の生活水準は向上した。労資対立を超えた新しい中流層が誕生したと方々で主張された。最底辺の階層は維持されてはいたが、国民の大多数は中流意識にくすぐられて満足した。経済成長なしには豊かさは実現しないという幻想は身に染みついてしまった。
 しかし今はどうだろう。「富」という表現に集約される経済政策は、かっての「所得倍増計画」のように魅惑的に聞こえはしない。「格差社会」は世界的規模で拡大し、日本もその例外ではない。富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧窮の奈落に突き落とされる仕組みは維持されたままである。「富」を増大させるという哲学に、この現実を重ね合わせてみるのは私だけであろうか。(2013年1月17日)

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