東北大災厄の日を迎えて

 3度目の3月11日を迎えた。あの日の午後診療所からの帰途にタクシーの運転手から聞いたニュースを確かめるべく、取るものも取りあえずあわただしくテレビの電源を入れた。写し出された名取川を遡上する津波の映像に打ちのめされた。
 あの日以来、私は東北の罹災者にどのように寄り添うべきなのかを考え続けている。すでに体力が衰え始めている私ではボランティアとして現地に出かけることも叶わない。義援金も何に使われるかわかったものでないし、はたしてお金が届くかどうかも怪しいものだ。結局私は東北からはるか離れた関西の地で、罹災した人々を忘れずに思い続けること、私のその思いを書き続けることによって彼らの苦悩に共感したいと思う。
 自分の身を安全なところにおいて、「絆」をうたい、「頑張ろう」と絶叫する。およそ東北の痛みを分かち合う気もないのにである。原発災害ですべてを失った人たちの体験に共感することもなく、原子力発電必要論にすり寄る人々、内容のない「復興」を叫び、そのなかにたくみに自らの利益を組み込む輩。このような輩がばっこする事態を見ていると、東北の民が被ったのは自然災害だけではない、災厄ではないのか。
 なぜよりによって東北地方があのような大災害に遭遇し、今のように忍従を強いられているのかについても、私は考え続けている。東北は古代に圧伏されて以来、声高に自分たちの要求を表現する体質をなくしてしまったようにも見えるのだ。
 そうでないことを願う。東北の民がもっと高らかに荒々しく声をあげることを願う。私はその声を聴き、その声に連帯する。(2013.3.12)

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