畏友ネヴィル・アレクサンダー追悼

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 アレクサンダー・フォン・フンボルト財団からネヴィル・アレクサンダー記念財団に対する寄付の呼びかけを受け取ってはじめて彼が昨年8月に癌で逝ったことを知った。私と同年であったからまだまだやりたいことがあったろうに、あまりに早すぎる死であった。弔意を表すには時間が経過しすぎてはいるが、このつたない文章を捧げて彼の死を悼みたいと思う。
  南アフリカ共和国、ブラックアフリカを代表する知識人であるネヴィル・アレクサンダー氏は1936年生まれ、若くしてアレクサンダー・フォン・フンボルト財団の支援を得てドイツに留学、チュービンゲン大学で哲学博士の学位を授与された。革命思想に傾倒し、帰国後アパルトヘイト打倒を目指す戦闘的左翼運動を開始したが逮捕され、1964年から74年までの10年間政治犯としてN・マンデラ元南アフリカ共和国大統領らとともに悪名高きロベン島監獄に繋がれた。その後フンボルト財団、そしておそらくはその背後にあったドイツ外務省の支援によって監獄から解放され自宅拘禁状態に置かれた。アパルトヘイト終焉後はケープタウン大学教授として新生南アフリカ共和国の教育政策、言語政策について積極的に発言し、一貫して権力の外に身を置いて知識人として影響力を行使していた。
 彼も私も共にいわゆるフンボルトファミリーに属している。これらの事件を通じて彼はファミリーの中では知られた存在であった。ネヴィルとは「畏友」と表現できるほどに個人的に親しい交際をしていたわけではないが、アパルトヘイト廃絶の運動に関わり始めていた私にとっては、N・マンデラとともにロベン島で闘った彼は畏敬に値する英雄であった。
 彼との交際の始まりは知的なものだった。フンボルト財団機関誌第60号(1992年6月刊)に英文で掲載された彼の論文を翻訳紹介したことに始まる。この翻訳は「アフリカは世界の奴隷の家であってはならないー新世界秩序の誕生はアフリカからー」という表題で、現代世界と文化の会編『[griot]グリオー第三世界から世界へー』1994年春、vol.7(平凡社、1994年5月)に収録された。
 彼とは三度、二度はケープタウンで、最後は京都で親しく会話を交わす機会があった。上に述べた翻訳を準備していた頃、私は友人たちとアパルトヘイト廃絶後の南アフリカの政治経済過程に関する国際共同研究をはじめていた。1993年8月にフィールドワークで現地を旅しているときに、時間を作って彼を大学研究室に訪ねた。その時頂いた書物の献呈のサインの日付は8月30日となっている。左翼運動の闘士という経歴から想像していた人物像とはまったく相違して、物腰も語り口も柔和なものだった。その時頂いた書物は、今も私の書棚を飾っている。書名を書きしるしておこう。Language policy And National Unity in South Africa/Azania, Cap Town 1989  この書物に込められた彼の思想は南アフリカ共和国憲法に生きている。
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 2度目にあった会ったときの記憶は不確かなのだが、その時頂いた書物のサインの日付を見ると、1994年6月16日となっている。この書物、Robben Island Dossier 1964-1975. Report to the International Cmmunity, Cape Town 1994は、彼のロベン島監獄体験の総括であり、国際社会への告発の書であった。しかしながら、今の時点でこの書物をあらためて手にしてみると、その後の世界政治の激動が生み出している無数の「政治犯」に対する過酷な処遇への告発の意味も持っている。この書物が国際社会にどのように受け入れられたかについてはよく知らないが、私はこの書物の歴史的意義を高く評価している。ロベン島の体験は政治的弾圧の歴史に残る事件であるだけでなく、それと闘うものたちにとって普遍的意義を持っているからだ。
 一度日本へおいで下さいという私の提案はただの外交辞令ではなく、ほどなく実現された。私どもの研究プロジェクトの一環として京都で報告をして頂くという機会を作ることができた。これがいつのことだったか正確な記録を探している余裕がない。報告のペーパーも翻訳もあるはずなのだが見つけられなかった。いずれにしてもこれが彼と会えた最後となった。
 『ロベン島調書』を手にしてあらためて考えさせられたことがある。彼は獄内教育についての記述に最も多くのページを当てている。彼の英雄的活動の中でも彼がN・マンデラ等と共に獄内で教育活動を組織し、卒業証書を授与して政治犯たちの知的水準を高めることに貢献したことはよく知られている。私が考えこだわるのはそのことではない。刑務所という弾圧の仕組みの中で学んだことから、彼や仲間たちが学ぶ意欲について何を教訓として得たのかと言うことだ。
 教育を受ける権利は普遍的なものだ。それを保証する公教育は今、特定の利益集団の目的のために歪められ荒廃している。私たちはあらためて自身が学ぶことができる権利を再確認しなければならない時代に生きている。極限状況で学んだ彼の教育観を一度議論してみたいと思ったのだが、それはもう叶わぬこととなった。
 英雄的活動はその担い手であった個人の歴史的役割として後世に伝えられる。ネヴィル・アレクサンダーは英雄として世界史に、とりわけアフリカ史に刻み込まれることは確かであろう。同時に、学びの場にあるものとしては彼の思想が永く学び継がれることを切に望みたい。(2013.4.28)

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