電子情報・出版文化はこのままでよいのか(1)

  これまでに書いたものの一部を夏までに電子書籍にしようと準備を始めている。いざ意気込んで取り組んでみると、今の考えもしなかったこの制度の欠陥や疑問が次々と湧いてくる。
 死ぬまで自由に学び、自由に書きたいと願っている。その営みにこれまでにない充足感と喜びを感じている。その営みを成果として出版することなどどうでも良いことだ。
 しかもである。制作費用の一部を負担しない限り出版は出来ないし、負担をしても刷部数はせいぜい数百部どまり、ほとんど人の目に触れずに終わる。若い編集者に本の趣旨や販売促進の方法を説明するなど、そんな煩わしいことをしてまで、貴重な時間を費やして紙の本の出版にこだわることはやめにした。
 電子情報化して書いた文章は、いうならば学生時代に左翼運動に加わっていた頃大学構内やストライキの現場でばらまいていたアジビラのようなものだ。受け取ったほとんどの人はその場で捨ててしまう。一人でも受け取って読んでくれる人がいたら、それがいかに稚拙な文章であろうとも、それがいかに汚い謄写版刷りであろうとも、ビラを書いたものにとっては、そして配り手にとっては満足なのだ。私はいま、学生時代のこの気持ちを思い出しながらそれで良いと思っている。ビラはどこにも保存されない、だから私の書き散らす文章も残らない。残らなくても良いと思っている。紙の書物なら法律によって国会図書館に献本が義務づけられているが、電子書籍にはそのような制度はない。ウェブサイトやブログとなると、現状では保存されないことを当然として自己満足のために書き散らしているようなものだ。
 しかし、私の仕事の運命はともかく、電子技術によって急速に拡大する出版文化がこのままでよいのだろうか、一体保存をどうするつもりなのだろうか。いまのままでは、現代文化の最重要部分が後世に伝えられないことになりはしないか。
 この国では、紙による出版文化が萎え始めているだけではない。電子文化そのものも後世に伝える体制が整備されない文化的後進国になりつつある。この点について、次回に少し論じることにしよう(続)。(2013.4.30)

コメント(1)

if i've just signed up but I really would really like to see a specific letter (Lorelei Lee's) is there some place i can possibly see it or obtain a copy somehow?

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