ネルソン・マンデラを讃えて

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 ネルソン・マンデラが95歳で逝った。
 アパルトヘイトの実態を理解するために潜入にも近いやり方で南アフリカに旅して以来、私はマンデラとANCの闘いに共感して反アパルトヘイト運動とネルソン・マンデラ釈放の闘いに学者として研究と執筆によって関わっていった。私のささやかな筆力がアパルトヘイト廃絶にどれほどの力になったかはともかくとして、廃絶を求める世界的な流れに微力ながら加われたことを、私は誇りに思う。私のこれまでの人生で誇りうるものがあるとすれば、迷わずこの仕事をあげるだろう。
 私はマンデラとその仲間たちの闘いから実に多くのことを、しかも学問にとって本質的なことを学んだ気がする。学者はあらゆる隷従からの解放と自由をその目標として目指すべきだと思う。アパルトヘイト廃絶運動に参加したことによって、この理念を絵空事ではなく、学問が直面する現実の課題として捉えることが少しはできるようになったと思う。
 私のそれまでの研究は先進国資本主義の視点から第三世界を見るものであった。第三世界から、アフリカから、逆の側から見ることの意味を教えられた。多くの人は狭い資本主義的正義が普遍的であるとして、非資本主義的世界の破壊に余念がない。それだけにこの態度は重要だと思う。私はこの態度をまだ自分のものにできていないことをもどかしく思っている。
  マンデラは南アフリカを新たに作り上げるために、自由であるためには相手を許さなければならないと説き、和解を求めた。マンデラがどうしてこの態度に到達できたのだろうか。彼の人間性のなせる業という人も多い。私は少し違う考えを持つようになっている。人間は本来孤立してお互い闘い合う存在ではない。人間には相手の立場に寄り添い、相手と共感する本性を持っている。マンデラが許しと和解を主張できたのは、アフリカ世界に内在する「共感」の倫理を体現していたからではないのか。資本主義世界では、「共感」の倫理は忘れ去られ、生存を賭けた競争と対立が扇動されている。対立と憎悪を煽り立て、隷従状態を当然とする社会科学ではなく人間的共感を基礎にした社会科学に作り替えることの必要を感じ始めたのは、この頃からだったか。
 ネルソン・マンデラはその意味で存在そのもが私の自由への道程を導く「たいまつ」であった。彼の仕事は世界の至る所で自由を求める市民に影響を与えた。高邁な思想を説かなくともこれまでほどまでに世界の隅々に至るまで、しかも国境を越えて影響を与えた人はかって存在したであろうか。「偉大」とは君臨する人、支配する人に与えられる称号ではない。その存在そのものが人間的影響を広く与えられる人のことだ。マンデラはその意味で偉大な歴史的人物であったし、これからもあり続けるだろう。
 20世紀は戦争の世紀であった。21世紀もこのまま進むならば、さらに深刻な人類の危機の時代となることは間違いない。隷従から完全に解放される道のりは果てしない。それだけにネルソン・マンデラがその生涯をかけた闘いで示したことは、これまで以上に人類の平和で自由な発展のための最重要の理念として継承されなければならない。アマンドラ!
(2013年12月9日)

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