井上有一生誕百年記念展で考えたこと(1)ー「噫横川国民学校」に寄せてー

 井上有一の回顧展が金沢21世紀美術館で開催されている。彼の東京大空襲に関する作品はどのようしてもその前に立ちたいと考えていたから、日帰りで金沢市に出かけた。
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 特に彼が訓導(教師)として勤務していた横川国民学校の悲劇に寄せた書、「噫横川国民学校」は、前の戦争、とりわけ1945年3月10日の東京大空襲の凄惨さを訴えた作品にはどうしても会いたかった。この作品に初めて出会ったのは、岩波書店が刊行した、井上有一『東京大空襲』(岩波書店、1995年2月)を通じてであった。書の大きさと広がり、筆使いは印刷物では捉えられない。どうしても現物の前に立ちたかったのである。
 この書は東京大空襲に関する書をまとめた一室の中央に掲げられていた。縦244センチ、横145センチの大作である。1978年の作品であるという。
 この書の前に立って、私は感動のあまり落涙し、二度拝礼した。一度目の拝礼は、作者自身も死の直前にまで追い込まれたこの日の学校を舞台にした惨劇の犠牲者に対して。この作品は私自身の体験と重ね合わされて、彼の書に示される慟哭と告発に共振したためであったろう。そして二度目は、作者に対する敬意の表明
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のためであった。
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 なぜ彼は30数年後にようやく書にまとめ上げたのだろうか、その意味を考えていた。慟哭と告発を書き切れる技能の成熟を感じたからであろうか。この作品は、丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」にも匹敵する、いやそれどころかそれを凌駕しているように思われる。絵画には約束事があり、丸木夫妻それを乗り越えてはいない。井上の慟哭と告発が文章だけだったとしたら、あるいは通り一遍の書家風の作品であったとしたら、このように感動に打ちのめされることはなかったろう。書道の枠を打ち破り、自らの感情表現を自在に筆に託せ
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る様式を確立したからこそなしえたことではなかったのか。この書は凄惨な修羅場の雰囲気を写し出して、絵画以上に絵画的であった。私も井上のような屍臭に満ちた修羅場ではないが自分の体験を思い出させた。
  ー2016年3月10日、東京大空襲71周年の日にー』

【附記】作品の写真は上有一、前掲書、122-123ページによった。最後の写真は945年7月15日の根室空襲後の私の生家あたりを写したものである。

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