井上有一生誕百年記念展で考えたこと(2)ー「貧」の一字に寄せてー  

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   一字を書いた作品の前に立って、作者の人間性を浮かび上がらせて、良いものを見たという充実感で満たされた。文字を一字書くことにこれほどまでに意味を込められるものなのか。展示されているさまざま字のなかで、私は「貧」に注目した。数点が会場で一番見やすい場所に展覧されているところをみると、作者の最も思い入れの深い作品のように思われる。 この頃に井上が物質的に貧窮していたとか、貧窮を書によって捉えようとしたということではないだろう。「貧」に生きる人としての態度、「貧」の態度からの他者へのまなざしを表現しようとしたのではないか。
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 「貧」は、私よりも上の年代では、知識や芸術で生きるあるいは生きようとする人にとって特別の意味があったと思う。貧に生きること、それこそが追求されるべき生活の理想であった。その視点があればこそ、貧者に対する共感も生まれるというものだった。自らを「愚」と表現する態度も同じだった。
 自ら謙譲の態度を示すことによって、他者と
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の共感を示すことが出来る、そういう時代が確かにあった。いまではそのような意味での「貧」も「愚」も死語となってしまっている。わずかばかりの知識で他者に優越していると自認する輩、「貧」や「愚」を見下す輩の跋扈である。このような時代に人間的な共感の風潮が復興し、支配的になることなどあり得ない。「絆」とか「連帯」の表現などあまりに空疎に響く。

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