須田国太郎「京都大学学生出陣壮行式」

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 兵庫県立美術館に「1945年±5年」展を観に出かけた。1年のうちでも6月から8月にかけてのこの時期は、前の大戦の犠牲者を悼む重要な時である。沖縄戦終結の日、私のまちの空襲の日、広島・長崎慰霊の日と続く。毎年、それに合わせるかのように前の戦争にかかわらせた展覧会が開かれる。神戸のこの展覧会はおそらくこの数年でもっとも優れた企画だと思う。戦争と絵画、戦争と画家について考える200点を超える絵画、彫刻、スケッチの展示は壮観で、それぞれの作品の前で考えさせられ、時には頭を垂れた。
 この展覧会に私が引き寄せられたのには、二つの理由がある。一つは芸術家をはじめとする知識人の戦争協力の意味について考えてみることであった。この点については別の機会に書きたい。
 もう一つは、この展覧会に展示されている須田国太郎の「京都大学学生出陣壮行式」を観ることであった。この作品の存在を知ったのは、今年4月の京都大学学部入学式での総長山極寿一氏の式辞によってであった。山極氏のこの式辞は大学の理想と理念、そして大学の伝統を訴えたものとして、近来まれに見る格調高いものであった。その中で彼は京都大学が所蔵するこの絵を取り上げ、学生に政治的覚醒を訴えている(式辞全文は京都大学のホームページを参照)。
 このような絵が残されていることを、私は不勉強で知らなかった。1943年10月、学生の徴兵猶予が撤廃され、学生たち、とりわけ文科系の学生がこの日から突如として学ぶ機会を奪われ戦場に駆り出されていったのである。神宮外苑で開催された雨中の壮行式の情景を映したニュース映画は戦後ことある毎に映し出され、当時の学生たちを襲った悲劇への共感で満たされたものだった。あの映像がメディアに登場することもなくなり、あろうことか神宮の競技場がオリンピックを理由に破壊されてしまった。東京から前の戦争の犠牲者を悼む聖地が消されてしまったのである。
 それだけに須田のこの絵が残されていることは意味のあることだと思う。京都大学もこの絵を迎賓室というあまり人目につかぬ場所に飾るだけではなく、学生(教職員も)を啓蒙し、彼らにいま課せられている役割を自覚させるために使ってほしいものだ。京都大学に限らない。他の大学でも過去を発掘し、それに率直に学んでほしい。それが大学の伝統というものではないか。
 展覧会では、隣に並ぶ絵のほうが衝撃的であったせいもあってか、この暗い地味な絵の前に足を止める人は少なかった。私は脱帽し拝礼してから絵を子細に眺めた。図録の説明によると、京都大学が須田に依頼したものだという。依頼にあたってどのような条件を付けたのかはわからない。須田はおそらく当日会場に出かけて構想を練り、神宮外苑の雨中の壮行式のニュース映画も観たはずだ。
 完成した絵には、この日を学業半ばで死地に赴く転機となったこの日の事件を歴史に残そうとする画家の思いがはっきりと見て取れる。暗い画面のなかを行進する学生の集団、その表情を見て取ることは出来ない。いや表情がないからこそ訴えてくる。登壇して閲兵する軍人はこの絵では添え物に過ぎない。行進曲を演奏する学生の姿も無機質に描かれ、ここから戦意高揚の雰囲気はみじんも感じ取られないのだ。それは注文者である京都大学の当時の中枢の意向を反映したものだったのだろうか、この絵の現在に至る運命はどのようなものだったのだろうか、いろんなことを知りたくなった。 (2016.7.3)

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