画家藤田嗣治の戦争責任ー8月に思う(1)ー

  毎年この時期になるとあの戦争のことを考えている。この数年は私自身の戦争観を書き続けているだけに、特に今年は気持ちが昂ぶっている。神戸で「1945年±5年」展で絵描きたちの戦争に対する態度のいくつかを見てからというもの、知識や芸術を生業とする者たちの戦争協力、そして協力したことに対する責任のとり方にについて考えている。
 大学生の頃から戦争に協力的だった作家たちの態度について関心を抱くようになった。戦争画を描いた画家たち、天皇制を賛美し愛国心を鼓舞する歌を作った作詞家や作曲家たち、子どもを欺し戦争への参加の意識を鼓舞した漫画家たち、従軍して戦争賛美に協力した作家たち、大東亜共栄圏を支持しナチスの思想に傾倒した社会科学者たち、公然と軍事研究に加わって戦争犯罪の片棒を担いだ自然科学者たち、その具体例をあげると、とても数枚の原稿用紙に収まるような数ではない。しかも彼らが戦後に自らの積極的戦争協力を国民にどのように謝罪したか、曖昧さのなかに巧みにうやむやにしてしまったのか、その点を確認していくことは私の手に余るものだ。
 画家藤田嗣治にいま特に関心を持つようになったのは、「アッツ島玉砕」に関連した文章を書いているからだ。藤田嗣治の描いた同名の戦争画は最近よく話題になっている。自らの戦争責任を明確にしたかは知らないが、少なくとも私が目にした限りでは、その後の彼の画家としての成功を見てというものその責任に明確に言及する人は少ないよう。
 軍中枢は自らの失敗を隠蔽するために、後方支援もなく弾も食糧も尽きて見殺しにされたアッツ島守備隊の全滅を「玉砕」と聖化し、国民の戦意を高めるのに利用したのである。アッツ島全滅は「玉砕」第1号であり、その後の玉砕聖化装置のひな形となった。藤田嗣治のこの絵はその聖化装置の重要な部分であったといってよい。藤田は嘘で固められた玉砕情報を絵画的魔術で聖化に大きく貢献したのである。国民は正確な情報もなく、この大嘘と大芝居に見事に欺されたのだった。
 ヨーロッパに暮らした藤田なら、絵画が大衆を蠱惑する独特の力があることを十分に理解していた筈だ。祭壇に飾られる宗教画、権力を握るもに依頼されて都合のよい歴史解釈を宣伝する歴史画の役割を見知っていた筈だ。それを知りながら積極的に貢献した藤田の戦争責任は明らかではないか、私はそのように考えていた。私はこの藤田の戦争画にまだ直接対面したことがない。戦争画はすべて占領軍に没収されアメリカに運ばれていたが、最近アメリカ側からの貸出という形で戻され、東京の国立近代美術館に所蔵されている。今回の神戸の展覧会で藤田のアッツ島に対面できると思ったのだが、残念ながら展示されていなかった。
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 別の戦争画が展示されていた。「シンガポール最後の日(ブキ・テマ高地)」で、これも大作である。日本軍の初戦の大勝利の象徴であったシンガポール陥落をテーマにしたものだ。私どもの年代のひとなら記憶しておられる方も多いと思うが、この初戦の大勝利は国全体で祝賀され、提灯行列が催された。藤田のこの絵も国民の愛国心高揚の企みに協力したのだったといえるだろう。
 アッツ島以前にこのような大作を描いていたとは知らなかった。「アッツ島」は想像と教唆によって軍部の大嘘を意図的に描いたのに対し、この絵のために彼は軍からシンガポールに招かれ、構想を得て描いたものという。藤田は戦争協力という点では確信を持って行動したということだ。許しがたい絵描きであったということになる。
 戦後に藤田はいったい自分の行為についてどのような態度を表明してフランスに去ったのだろうか。フランスは、反ファッショ抵抗運動がさまざまな形で戦われた国である。彼はどのように言い逃れをしてあの国に受け容れられたのであろうか。
 私の藤田を拒絶する態度はあまりに厳しく潔癖すぎると評価されるかも知れない。私の態度をそのように一蹴するのは容易なことだ。藤田に限ったことではない。あの時代のあの世代の曖昧さがこの国の戦後史を作ってきたことに思いをいたすべきだ、これが私の主張なのだ。この国では戦争責任については明確に議論されることもなく、この国特有の曖昧模糊とした決着によって今に至っている。まさにその曖昧さが今日の事態を作り出しているのではないか。その曖昧の戦後史からぞろぞろと這い出してきて、戦争への流れを再び作り出そうとしている彼らと彼らの先行者たちのの過去や現在の言動を妥協なく注視していくことが求められているのではないか。(2016.8.10)
 
【附記】兵庫県立美術館で開催中の「生誕130周年記念 藤田嗣治展ー東と西を結ぶ絵画ー」(9月22日)に、次の3点の戦争画が展示されている。「アッツ島玉砕」(1943年)、「ソロモン海峡における米兵の末路」(1943年)、「サイパン島同胞臣節を全うす」(1945年)。出かけて仔細に観るつもり。

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