「土人」

 大阪から沖縄に派遣された若い機動隊員が「土人」という罵声を発する姿を映像を見て、私は動揺した。いったいこの若者はこの表現をどこで覚えたのだろうか。罵声を浴びせ合う中で自然にこの表現が発せられるのを見て、この若者は日常の中でこの表現を取得したものと思われる。自主規制を強要された時代もあった。その頃は教壇に立って講義する私も表現には神経を使ったものだった。差別的表現を使わないようにつねに自己点検しているが、それでも世代の相違から来るものだろうか、それに類した表現を使って、講義中でもよく学生から抗議された。
 いまはそのような強制も緩み、野放し状態なのかも知れない。最近の警察官は大学卒業者が多いと聞く。まさか大学で覚えたと言うことはないだろう。大学教育の水準がそこまで低下しているとは思いたくない。身体的な差違を能力の優劣に当然のように結びつける風潮の蔓延を見ていると、教育の現場が意識的にせよ無意識にせよ、差別意識を孕んだ教育の実態があるのだろう。

 それにしても、政治家や高級官僚は自分たちの先輩が作り上げた差別的表現について十分に学習していないことには、いつものことながら驚かされる。「土人」という表現は、明治維新政府がアイヌについて作り使いはじめた公用語であり、その当初から人種差別的な意味を含んだ表現であった。この事実を知らないとはいわせない。
 「土人」と言う表現が、維新政府の文書にはじめて登場するのは、1869年(明治2年)5月のことだ。明治天皇の蝦夷地開拓に対する5月21日付御下問のなかに見える(注1)。中央の権力はアイヌ民族が苛烈な搾取に抗して反乱することを恐れていた。そこで同化政策によって無理矢理日本人に取り込む政策に転じた。ところが、戸籍上は「平民」として編入されてのに、アイヌ民族を「土人」と扱う態度は消えることはなかった。1878年(明治11年)11月4日付の開拓使の通達がある。呼称がさまざまで不都合があるから、「旧土人」で統一せよというものだ(注2)。この「旧土人」という醜悪な表現は、1899年(明治32年)3月1日に、帝国議会で承認され公布された、あの悪名高い「北海道旧土人保護法」でついに法律用語にまでなるのである。アイヌ民族はその文化も言語も奪われて「土人」「旧土人」として差別され続けた。この呼称を公式に取り消したと言う話は聞かないから、法律としてはまだ生き続けていることになる。政治家たちがこの歴史を知らぬとは言わせない。
 アイヌ民族をこのように「土人」と称される日本人としてその支配に組み込んだのには、反乱に対する恐怖に加えて維新政府がアメリカ合衆国の先住民政策に倣ったことによるのではないか。維新政府が北海道開拓の方針を決めるためにアメリカから大金をはたいて雇い入れたホーレス・ケプロンやW・S・クラーク等も母国での先住民政策を北海道開拓に導入することに積極的であった。
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 明治政府がアメリカの先住民政策に大きな関心を抱いていたことは、例えば1871年(明治4年)から1873年(明治6年)にかけてアメリカ、ヨーロッパに派遣された岩倉使節団の記録に見て取れる。彼らはアメリカサンフランシスコに上陸しアメリカ大陸を横断の途中に先住民に遭遇し観察しているが、その中で彼らを「土人」「土蕃」と呼び、「ソノ面目ハ我邦賎民ノ内ニ、往々ニアル骨相」と時刻の賎民差別と交差させた感想をも述べている(注3)。
 維新政府がその成立期に身につけた「土人」認識は、アイヌ民族の同化政策とアメリカ先住民認識の学習の交差したところで生まれたものであったといえるだろう。この用語は日本の帝国主義的南進と結びついて新たな展開を見ることになる(続く)。

(注1)『日本近代思想体系』第22巻(「差別の諸相」)、岩波書店、1990年3月、3ページ。
(注2)同上、15−16ページ。
(注3)久米邦武編、田中彰校注『特命全権大使 米欧回覧実記』(一)、岩波文庫、1977年9月、131-134ページ。

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