桑原武夫蔵書破棄について考える

 
IMG_20170801_0004_NEW.jpg
今年5月頃京都の文化的水準の低下を象徴するような事件がメディアを騒がせた。桑原武夫の遺族から寄贈されていた蔵書1万冊が整理もされず20年以上もほったらかしにされたうえ、最近になって廃棄されたというのだ。寄贈を受けておきながら、整理して利用できるようにせずに放置して置いた責任がどこにあるのかは問われることもなく、最終的に係わった職員が降格になり、減俸処分をうけて行政的処理は終わったようだ。
 京都市の行政水準の低さは目に余る。多くの人びと、特に書物を愛する人びとが本をゴミとして扱って恐らくは焼却したであろうこのやり方に立腹したのは納得できる。しかし、この事件には見過ごせない重要な問題が伏在しているのではないか。そのことについての私の考えを書いておこうと思いたった。
 今書いている治安維持違法に関する文章を書き上げてから取りかかろうと思案しているうちに、世間はこの事件をすっかり忘れてしまったようだ。どうしようかと考えているところに、梁山泊店主島元健作さんの文章が送られてきた。島元さんとは一度電話でこの問題を議論したことがあるが、古書店の立場と物書きで本を利用する立場の違いがありながら、基本的な点では一致していたように思う。先を越されてしまったが、島元さんの議論もふまえて書く気になった。いつになるかは、生来の遅筆、解らない。15年前に蔵書観をウェルナー・ゾンバルト文庫に関係させて書いたものがある。考え方はその時と変わっていないつもりなので、執筆実現までのつなぎとしてPDFファイルに変換して添付しておきたい。(2017.8.2)

ウェブページ

Powered by Movable Type 5.01