千本今出川交差点の変貌ーお地蔵さんの「新居」が語るものー 

 千本今出川交差点北東角にあった時計台付の旧ミヨシ堂は売却され、一階にコンビニエンスストアが入居する新しい建物に建て替えられた。私はこのあたりに住んでいるわけではない。週に何度かこのあたりを通るただの通りすがりの人にすぎない。ミヨシ堂の所有者が売却にあたって二つの願いをショウウィンドウに張り出していたのを読んで、その実現を見届けたいと考えただけのことだ。時計塔を残すことについては、実に奇妙な位置であったにせよ、とにもかくにも実現していた。
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 もう一つの願い、お地蔵さんを祀る祠を残すことはどうなったか。コンビニエンスストア前の駐車場の片隅に真新しい祠が出来上がっていた。しかし、このまちの住民でもないのに、ただの通行人にしかすぎないのに、あれこれ言うのは気が引けるのだが、祠が残ったことに安堵した。それと同時に、少なからず違和感を覚えた。
 新しい祠は銅葺きで光り輝いている。古色を得て通りになじむようになるにはまだかなりの時間を要するだろう。私が違和感を感じたのはそのことではない。建物からの微妙な距離感だ。以前の祠はミヨシ堂のコンクリートの壁にくぼみを作り、そこに収められていた。室町通や新町通を歩くと、このような形で祀られている祠を見かけたものだった。今はどうなっているだろうか。
 確かに新しい祠は敷地内に建てられてはいる。しかし建物から離れ方が気になるのだ。誰だこのお地蔵さんをお世話するのか。この距離は祠をめぐる町内の関係を暗示しているような気がしてならないのだ。そういえばこの祠ができてからお花が供えられているのを見たことがない。
 いったい京都市内には幾体のお地蔵さんが祀られているのだろうか。化野念仏寺ほかのお寺が祀っているものを加えたらおそらく数千体、町内の祠や家々の庭や軒下に祀られているものだけでも数百を超えるだろう。正確に数えた統計 数字などお目にかかったことがない。祠の形もさまざまだ。地蔵盆が催される祠の数などお目にかかったこともない。
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 お地蔵さんを祀る風習がいつから町内の安全、とりわけ子どもたちの健やかな成長を願う今の風習になったのか、私はその歴史は知らない。おそらくは中世のある時期だろうと勝手に大雑把に推定している。都の外にうち捨てられ朽ちてゆく庶民の亡骸や内乱で死んだ雑兵たちを弔うためにその葬送の地に石仏が建立されたのだろう。亡骸の数だけ石仏が建立されたのだから、おそらく葬送の地であった化野、蓮台野、鳥辺野などにはおそらく数え切れないほどの石仏が埋まっていたに違いない。
 北野天満宮の北で豊臣秀吉が御土居を造成するのに基礎工事に使ったという地
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蔵群を祀る祠を見つけた。誰がお守りしているのかはわからない。考えようによっては秀吉は実に罰当たりなとをしているのだが、このあたりの地下には無数の地蔵が埋のだから、その上に城壁を作ったとしても何の問題もなかったのだ。その石仏が現代の庶民たちのよって掘り起こされ、まったく別の風習に作り替えられ、風習は絶えることなく現代まで維持され拡大してきたのだ。
 お地蔵さんの祠は住民の地域的結びつきの中心にあった。地蔵盆の時に限らず、いつも掃除が行き届き、花が供えられていた。前を通る住民は手を合わせる人が多い。信心に疎い私でさえ祠を無視して通り過ぎることはない。このような習俗の連鎖がこのまちの都市として魅力になっていた。このような習俗による住民同士の密な関係はいま外部の力によって危機に瀕しているのではないか。その危機によってこのまちは東京と変わらない資本の求める効率性に完全に屈服したまちに急速に変貌を遂げているのではないか。
 外部の力によって破壊が及んだ時代は、私の知る限りでは二度ある。一度はあの忌まわしい戦争による破壊の時代であり、もう一度はまちの仕組みを効率優先の資本主義に売り渡している今の時代である。一回目の破壊は、空襲や軍部が強権的に実施した疎開と称するまちの物理的な破壊によるものだ。このまちにもそのまちはかいの痕跡は方々に残る。破壊されたまちのお地蔵さんや祠は一体どうなったのだろう
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か。堀川通を散歩している時、戻橋あたりで数体のお地蔵さんを祀る祠を見つけた。これなどは破壊の後にここにまとめられたもののように思われた。この種の祠はほかの道路にも残っているかも知れない。重要な戦争遺跡のひとつではないだろうか。
  今直面している危機は、その深部にまで及ぶ影響によって、その広がりによって、かって体験したことのないものだ。都心部の高齢化と人口減少によって、地蔵盆はおろか祠の世話さえも難しい状況が生まれている。地蔵盆を止める町内も増えているし、そうでなくとも維持の難しさを訴える声は方々で聞かれる。祠自体も手入れが行き届いていないものが目立つようになっている。
 しかも近年急速に進む観光開発、大型マンションとホテルの建設にとって祠やお地蔵さんは邪魔者になっているのではないだろうか。民宿が増えても住民が減少すれば、お地蔵さんを世話する人は確実に減る。外部からこのまま無秩序に、観光資本を呼び込み観光客を増やせば、庶民がまもり続けてきたまちの伝統的仕組みは確実に破壊される。急速に進む破壊に対して抵抗する声はあまりに小さく分散されているのではないか。
  とにもかくにも祠を得て再び祀られた千本今出川のお地蔵さんは、このような流れの深刻さに照らしてみれば、当座はいくらかは幸運であったと言えるかも知れない。しかし祠を守るまちが衰退しては、立派な姿もいずれはかっての繁栄の残像にすぎないものなってしまうのではないだろうか。
 週に何度か前を通り過ぎながら、そのようなことをとりとめもなく考えている。

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