臨済護国禅寺ー2010年4月台湾の旅(3)ー

 植民地支配に宗教が加担したことはヨーロッパやアメリカについてはよく知られている。 支配者の宗教への信仰を強要する、それによって現地住民の同化を進める、 先住民の習俗を巧みに取り入れて懐柔するという施策が植民地支配の中核をなしていた。
 日本の場合はどうだったのだろうか。国家神道が強制されたことは当然であろう。 仏教はどのような役割を演じたのだろうか。植民地支配が終わると神社は直ちに破壊された。国家神道は宗教であるよりも、現人神でとされる天皇の崇拝を強制する装置であってから、 破壊されて当たり前だった。では仏教寺院はどうか。後藤治監修、王恵君・二村悟著『台湾都市物語』 (河出書房新社、 2010年2 月)を手がかりに日本統治時代の宗教政策の一端を観察して見ることにした。
 この書物に紹介されている戦前の台北市街図をみると台北市内には多くの仏教寺院があったようだ。址が残っているの三箇所という。そのうちの一つ, 妙心寺派の臨済護国禅寺を訪ねてみた。 この書物では簡単な地図に大まかな住所を示しているだけなので探すのに苦労した。
R0010783.JPG この寺は台湾総督を務めた児玉源太郎の台湾の菩提寺あったという。 それにしても奇妙な風景である。 山門と本堂が残っているだけだ。 山門は中国風との折衷で、 京都の宇治市にある中国寺院を思いださせる。 それにしても金ぴかの中国寺院に彩色のない日本風寺院建築がはめ込まれている風景は奇妙としかいいようがない。釣り合いがとれていないのだ。
R0010775.JPG お寺の事務所で尋ねてみた。 一度老僧が訪ねてきたことがあるだけで日本との関係はまったくないという。 昔この寺の僧侶であったひとであろうか。建物を残している理由を尋ねてみた。文化財に指定されているからだという。この國では植民地支配の遺産であろうと何であろうと古い建物はすべて文化遺産として保存されている。日本統治時代の建物が多数残っているのもそのためだ。古いものを残さねばならないと気付いた時にこの国の人びとが示した心の広さに感嘆する。
 ちなみにこの寺は台湾神社址(現在の園山飯店のあたり)の近くにある。権力者である台湾総督の菩提寺であったことからそれは当然といえよう。日本の統治の崩壊とあわせて僧侶は遁走し、その址がこのように守られているというのは表現しようのない喜劇的情景に見えるのだが。
(2010.4.23)

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